俺5時起床。無線インカムの充電をしたり、バイク2台のシートカバーを外したり、かみさんのドラッグスターにサドルバッグを取り付けたり、デジカメの準備をしたり、セブンイレブンのチーズバーガーをレンジで温めて食べたり、スマホでルートのチェックをしてたら、かみさんも起きてきた。かみさんの起床時間は6時。
ワレワレ夫婦は7時に出発し、練馬の入り口から関越自動車道に乗った。と思ったら、入り口のスロープを昇りきる間もなく、料金所のはるか手前から渋滞が発生していた。「おお!まじか?!」
どうやら、三芳のあたりで発生した事故が影響しているらしい。渋滞の中を黙々とジェントルに進み、料金所を超え、三芳のあたりの事故現場を超えたらスムーズに流れるようになった。と思ったのもつかの間、その後も自然渋滞が断続的に発生し、おまけに小雨まで降り出した。当然ながら、テンションダウン。とは言え、道の混雑は自然渋滞なので、三芳までの渋滞と比べると全然進みやすい。
我慢の走行を続けて、嵐山サービスエリアでトイレ休憩。
このあたりでは既に渋滞は解消し、雨もほとんど止んでいる。で、ちょっとテンションアップ。
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関越自動車道を花園インターで降りて、国道140号、国道299号を走り、県道37号に入って、2週連続道の駅「両神温泉薬師の湯」
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先週は車だったけど、今週はバイク。
小鹿野町は、「ウェルカムライダーズおがの」のキャッチフレーズのもと、バイクによる町興しにとりくんでいて、バイクを温かく迎えてくれる、ライダーにやさしい町なのだ。
道の駅や、町のいたるところにバイク専用の無料駐車場があって、しかも大半が屋根付き。
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本日の目的地、ライダーズカフェ「モトグリーンカフェ」に到着。多分11時頃。
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こんにちは、藤井渉です。
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それはさておき、
ここのお店には、バイク用の駐車スペースはあるが、車用の駐車場はない。
店の前のS800は、お店の展示車だ。店のご主人のかな・・・
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店内は意外とすいていた。
「二人なんですけど」と言うと、ご主人が「あいているところ、どこでもおかけ下さい。」と言った。
ワレワレ夫婦は、あいているテーブルにつき、あたりを見回した。
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壁際にエルシノアが展示されていて、その上方にはスティーブ・マックイーンの写真。そのほか至るところにバイク乗りが好きそうなグッズが多数飾られている。
なぜか、ルパン三世と次元大介と十三代目石川五右衛門と峰不二子のフィギュアが飾られていたが、ご主人の趣味だろうか・・・
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ホールの奥にはピアノが設置されていて、その上にはHONDA CB750Fourのプラモデルのパッケージが。
そして、その右側の壁際には、ベンリイと思われるアンティークバイクが3台展示されていて、その上の大きなモニターではマン島のTTレースが上映されている。
間違いない。ここのご主人は、生粋のHONDA党だ。
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すぐにご主人が、お冷を運んできた。
かみさんは、キーマカレー。
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俺は、肉丼(牛丼)を食べた。
特筆すべきは、お米のおいしさ。
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食事を終えるころ、ご主人がワレワレのテーブルの近くに来て言った。「ここは初めてですか?」
「初めてです。」俺は答えた。
「まあ、こんな感じです。」とご主人は言い、「あそこにいる方」と言って先ほどまでワレワレ夫婦の隣のテーブルでコーヒーを飲んでいた老人を手で示した。今はカウンターに移って常連と思しき人と世間話をしている。「店の前にかざってありますけど、S800のエンジンを開発したエンジニアなんですよ。」
「えええ!そうなんですか!?」
俺は驚き、ご主人は「ごゆっくり」と言って去って言った。
なんか、すごい話だなー・・・
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店の雰囲気と食事を楽しんで出発。
お会計を済ませるとき、店のご主人は「またお越しください。」と言った。俺は「はい、また来ます。」と答えた。ご主人はちょっと待ってくださいと言って、ワレワレ夫婦に店のステッカーを一枚ずつくれたのだった。
バイク置き場で出発の準備をしていたら、新たなライダーが到着したので急いで駐輪スペースを空けた。
道路の端にゼファー750とドラッグスターを停めて準備を整え、そして出発。
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JAちちぶ小鹿野農産物直売所によってお野菜ショッピング。
栗と、シメジを購入。キュウリが美味しいという情報を得ていたので買おうと思っていたのだが、午前中で売り切れてしまったようだ。
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国道299号から国道140号バイパスを走り、皆野寄居有料道路は使わずに一般道を走った。
花園インターから関越道。
時刻は12時30分頃。関越道は順調に流れ、ワレワレ夫婦は高坂サービスエリアで最後の休憩をとった。
大泉ジャンクションで外環自動車道に入った。
美女木ジャンクションの手前で若干渋滞したが、あとはスムーズに進んだ。
午後2時30分頃。
出発から253km走って、無事に帰宅したのであった。
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