俺、3時起床。かみさんも頑張って4時起床。月末の土曜日。環七や関越道は遅くなると激しく混雑しそうなので、5時出発を目指して出発準備を推し進めた。
本日の東京の最低気温は6度、上田〜万座温泉の最高気温も一桁台で、万座温泉の明日朝の最低気温は2度の予想。もはや真冬の気温だ。なもんだから、ワレワレ夫婦は真冬の装備に身を包み、目標の5時を15分程オーバーして出発。
まだ暗い環七、目白通りをスムーズに走り、練馬インターから関越自動車道に乗るころには大分明るくなってきた。
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本日は一日曇りの予報だったのだが、日が昇ってみると上空にはきれいな青空が広がった。少し風が強いけど、澄んだ朝の空気と陽光で全てのものがきらきらと輝き、美しい一日の始まりを予感させるのであった。
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関越自動車道は交通量が多かったものの、渋滞することなくスムーズに流れた。藤岡ジャンクションから上信越自動車道に入り、東部湯の丸SAで給油。この時点で足立区の我が家を出発してから190km程走っている。
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上信越自動車道を上田菅平ICで降りて市街地を数キロ進み、午前9時過ぎに無料の上田城跡駐車場に到着した。
既に二輪車用駐車場は満車だったが、大型車の駐車スペースに仮設の二輪置き場が用意されていたので無事に駐車することができた。
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さあ、かみさん念願の上田城観光だ。
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ワレワレ夫婦は入場料一人600円払って、「信州上田真田丸大河ドラマ館」に入った。
チケットを渡して入口を入ると、スタッフのお姉さんに「無料の記念写真のサービスを行っていますのでこちらへどうぞ」と撮影用に飾ってある甲冑の前に案内された。
ワレワレ夫婦は案内されるままに甲冑の前に並んだ。
撮影のおねえさんがカメラを構えて「撮りまーす」と言い、はいチーズ!のような言い回しで「はいサ・ナ・ダ・マ・ル!」と言った。って無理やりすぎるだろ!かみさんもノリノリで「サ・ナ・ダ・マ・ル!」とか言ってるし。そもそも「サ・ナ・ダ・マ・ル!」では、口がニッてならないじゃないか。
さらーに!撮影が終わると、スタッフの女の人たちが数人で声を揃えて「二人仲良くサナダマルー♪」と唱和した・・・・いや、だからなんじゃそら!
で、俺の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。その疑問とはこうだ。
週末の真田丸大河ドラマ館には、1日数千人が来場するはずだ。ということは、このおねーさん達はいったい1日に何回「二人仲良くサナダマルー♪」と唱和するのか?と、ここでもう一つの疑問が・・・
たまたま、ワレワレ夫婦の前後に入場した人たちは、若いカップルや夫婦と思われる二人連ればかりだったので皆「二人仲良くサナダマルー♪」と言われていた。これが同性の3人連れや4人連れだった場合はどうなるのか。恐らく「3人揃ってサナダマルー♪」とか「みんな一緒にサナダマルー♪」とか言われるのだろう。問題は1人で入場する人だ。「一人寂しくサナダマルー♪」とでも言われるのだろうか?謎だ。(どうでもいいから)
写真を撮り終えると、スタッフのおねーさんに番号が書かれた紙切れを渡され「出口で無料の小さい記念写真と交換して下さい」と言われた。わざわざ小さい記念写真とことわるのは、大きいサイズの写真も用意されていて、そちらは1,000円払って購入するシステムになっているからだ。
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それはさて置き、ワレワレ夫婦は入場して展示物を見て回った。「真田丸ドラマ館」なので展示物は歴史的な物や資料ではなく、ドラマの撮影で使用された衣装や小物だ。また、登場するキャラクターのデジタル映像があちらこちらに投影されたり、バーチャルリアリティで大阪城内を体験できるコーナーがあったりする。
場内は基本的に撮影禁止。唯一、砦のセットをバッグにした赤備えの甲冑のみ撮影することができる。
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出口付近の撮影スポットで、幸村と記念撮影。
しかし、この幸村はいつの幸村だろう。いでたちは九度山から大阪城に入った後のものだが、髪型は若い源二郎信繁のころのものだ。ひげもないし・・・ま、いいけど。
真田丸ドラマ館の出口で引換券を渡し、小さい記念写真をもらった。「こちらも是非どうですか?」と1,000円の大きい写真も勧められたが、「いやいいです。」と断った。
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「信州上田真田丸ドラマ館を後にして、売店でソフトクリームゲット!
ちょっと甘すぎ。ワレワレ夫婦の好みではないが、まあ美味しいソフトだった。
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で、ワレワレ夫婦は上田城本丸の東虎口櫓門に向かった。左に見えているのが上田城本丸南櫓だ。
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真田石
東虎口櫓門の正面右手の石垣に据えられている、高さ約2.5m、幅約3mの大石。真田昌幸が築城の折り柱石として据えたものと伝えられていて、真田石と呼ばれている。真田信之が松代へ転封となった際父の形見として持ち運ぼうとしたが、大勢の人の力をもってしてもびくとも動かなかったと伝えられている。
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上田城は信濃国小県の真田昌幸が、1583年(天正11年)に築城した平城だ。1585年、1600年と二度にわたる真田氏と徳川軍との上田合戦ではいずれも、寡兵の真田が大軍の徳川を打ち破ったことで知られる。しかし、昌幸が属した西軍が関ヶ原の戦いで敗れ、昌幸と信繁(幸村)が九度山に配流となると、1601年に上田城は徳川軍に破却され、堀も埋められた。
関ヶ原以降に同地を領した真田信之は、上田城が破却されていたため元々の居城である上野国沼田城を本城とし、上田城三の丸跡地に屋敷を構えて統治を行った。真田信之は元和8年(1622年)9月には信濃国松代へ転封された。
真田信之の転封後は小諸藩より仙石氏が移封された。仙石忠政は破却されたままの上田城の再建を申請し、寛永3年(1626年)から現在の上田城が普請されることとなった。
真田氏時代の縄張りをも利用していると推測されているが、徹底破却ののちに近世城郭として新たに築城された。本丸には櫓7棟、櫓門2棟、それらを繋ぐ塀が普請された。
現在ある本丸の3棟の櫓(南櫓、北櫓、西櫓)など建物の外壁は煤と柿渋で防水した板を用いた下見板張の黒い外観である。
二の丸にも櫓や櫓門を再建するため、櫓台なども構築されたが、寛永5年(1628年)4月20日仙石忠政の死により工事は中断され、これ以上の増築は行われないまま、仙石氏の転封および松平氏(藤井松平家)に藩主家が交代し、幕末を迎えた。
ちなみに、さっき見物した「信州上田真田丸ドラマ館」は城跡の二の丸跡に建っている。
写真は西櫓。ワレワレ夫婦は西櫓裏の急階段を下りて(これが近道なのだ)、上田城跡駐車場に向かった。
上田城を出発するころには大型バスの観光客が、続々と上田城に到着していた。上田市は今、正に真田丸特需。頑張って早朝に出発して、早めに観光しちゃって良かった。
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上田城跡公園を後にして、昼食予定の「草笛」に到着。信州蕎麦の有名店だ。
開店時間は11時。到着時刻は10時40分。既に行列ができていた。ワレワレ夫婦は行列にならんで開店時間を待った。
行列の一回目で席を確保できるかどうか懸念したが、店内は以外に広く余裕で席に着くことができた。
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俺もかみさんも、野菜天ざるを注文。
コシがあって蕎麦もつゆも美味しく、蕎麦の盛りが異常だ。大盛りを注文したら大変なことになりそうだ。野菜のてんぷらも美味しい。
ワレワレ夫婦は、評判どおり美味しい蕎麦を堪能したのだった。
これまでのところ、ツーリングは予定通り良い感じで進んでいる。
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国道144号を北上。上信越自動車道の高架をくぐって少し進み、荒井交差点を右折。県道35号を進む。このあたりは真田家発祥の地に近い。景色が良くて牧歌的で、すごく雰囲気が良くて、絵に描いたように美しい田舎の風景が広がっている。
かみさんが、「こんなところに住んだらいいだろうなー」と無線インカムで言っていた。
県道35号を少し走って、真田氏歴史館に到着。
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一人250円払って入場した。
真田氏歴史館は本物の甲冑や刀、歴史的な資料や、真田家の年表や家計図等が展示されていた。
規模は小さいが、真田丸ドラマ館より見ごたえがあった。
館内を一通り見終わる頃、おじいさんとおばあさんの団体さんがやって来て、急に館内が騒がしくなった。
おばあさんが真田太平記のポスターを見て「あら、丹波さんだよ丹波さん!丹波さんがいるよ!あっはっはっはーーー!」と大声で笑っていたが、何が可笑しいの分からない。
近所のお土産やさんでお土産を買って出発。
国道144号を暫く走り、途中コンビニで本日のおやつと夕食をゲット。本日の宿は朝食のみのプランなのだ。
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吾妻線、万座・鹿沢口駅の先の信号を左折して、県道59号から万座ハイウエーに入った。
以前宿泊した嬬恋プリンスホテルを超えるとすぐに万座ハイウエーの料金所だ。バイク2台分の通行料金1,440円(高っ)を払った。
料金所のおじさんが「どちらまで?」と言った。
「万座温泉まで」と答えると料金所のおじさんが「じゃあ大丈夫ですね。渋峠はみぞれらしいから、気をつけてくださいね」と言った。え、まじか・・・・
ワレワレ夫婦はびびりながら、万座温泉を目指して進んだ。びびりながらも、紅葉の森の道を気持ち良く走った。
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余裕こいて走っていられたのも束の間、高度が上がるにつれてめちゃくちゃ寒くなって来て、突然霧が出始めて、あっというまに5m先が見えない程の濃霧につつまれた。
怖い。激しく怖い。無線インカムからは「見えないよ、怖いよ、帰りたいよー」というかみさんの声が聞こえている。
万座温泉まではあと3km位。俺は「もう少しだから頑張れ」と伝えた。「全然見えない。怖い怖い怖い」と、かみさんの怖がりかたが尋常じゃないので、そこまで見えないか?と怪訝に思っていたら、「あ、大丈夫だ。シールド上げたら見えた」というかみさんの声が聞こえた。どうやらシールドが曇っていただけのようだ・・・
とは言え、濃霧には変りない。ワレワレ夫婦は、超ゆっくりと進んだ。
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午後3時30分
出発から278km走って本日の宿泊地、万座プリンスホテルにどうにか無事に、生きて到着することができたのであった。
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そそくさとチェックインを済ませ、部屋に入って旅装を解いた。ああ、ほっとする瞬間。
部屋の窓からは山々の絶景が見えるはずだが、霧でなんにも見えなかった。
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とりあえず風呂だ。
俺はまず体と頭を洗って、内風呂に浸かった。ツーリングで冷えた体に白濁の湯がジンジンと沁みる。
だいぶ体が温まってきたので露天風呂に移動した。湯船の近くに杭が打ってあって、標高1,800mの天空の露天風呂と書いてある。
露天風呂に浸かって「う゛え゛〜」ってしてたら、一瞬霧が晴れて山々の絶景が姿を見せた。ここの露天風呂はやばい!一緒の湯船に浸かってた人が、「ほったらかしの景色もすごいけど、ここもすごいなー」と言っていた。
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大浴場から部屋に戻り、ビールを飲んでマッタリした。そして恒例の昼寝。
2時間程眠った。
夕食は豪華コンビニディナー。
夕食後、もう一度大浴場で温泉に浸かった。
そして就寝。
明日の最低気温は2度。山道の凍結が心配だ。
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翌朝、5時に朝風呂。ここの大浴場は掃除の時間を除いて24時間入浴可なので、すでに沢山の人が入浴していた。
本日は好天。心配された霧はほとんどない。
朝食は宿のビュッフェ。大食堂は恐らく台湾人と思われる団体さんで大混雑していた。
なぜ台湾人と思うかというと中国人ほど声が大きくなく、原色の服を着ている人がいないからだ。
ワレワレ夫婦は洋食中心の料理をチョイスし、ゆっくりと朝食を味わった。サラダのプチトマトとウィンナーが美味しかった。
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それにしてもだ。心配なのは道路の凍結。スマホの天気予報では、現在地の気温は−2度となっている。俺は外に出て気温や道路の状況をチェックした。
思った程寒くなく、付近の道路は見える範囲では乾いている。しかし、駐車場の小さな水溜りは凍っていた。
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ワレワレ夫婦にしては遅めの、9時にチェックアウト。
駐車場に行くと、二人のライダーが出発準備をしていた。「おはようございます」と声を掛けると、二人とも気持ちよく挨拶してくれた。
二人組みのライダーの出発準備が整い、ワレワレ夫婦に手を振って走り去って行った。すごーく感じのいい人たちだった。
ワレワレ夫婦も出発準備が整い、万座ハイウエーの凍結を心配しながら出発した。
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万座ハイウエーの下りは殆ど乾いていて、心配した凍結は全くなかった。ああ良かった。
ワレワレ夫婦は紅葉の中を気持ちよーく走った。
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万座ハイウエーを走りきり、鬼押ハイウェーを軽井沢方面に進んだ。「鬼押出し」を通過して国道146号に入り、国道18号、県道43号を経由して、碓氷軽井沢ICから上信越自動車道に乗った。
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少し出発が遅くなったので、混んでいるのではないかと懸念したが、上信越自動車道も関越道もすごーく空いていた。てゆーか、こんなに空いている関越道は初めてだ。
ワレワレ夫婦は超順調に進み、練馬ICで高速を降りた。目白通りも環七もなぜか思いの他空いていた。
午後1時30分。
今日の朝万座温泉を出発してから220km、昨日我が家を出発してから498km走って無事に帰宅したのであった。
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